氷にはちみつかけると美味しい©️

メンヘラのおままごと

また、はなしたい人の目の前に出す勇気がなかった言葉

ただ刺したら終わりなのにその一手が進まない

送りにくいLINEの送信ボタン押す時みたいに一瞬頭を無にしてかんばればあとは痛くても逃げられないからおわり、生きたくても生きられなくなるからさいこうなのにね

こんなに死ぬのがちゃんと近いのはひさしぶり

回数を重ねる度に少しずつ行動力が上がる、想像するだけだったのがちゃんと包丁を向けられたり、首締めるだけだったのがちゃんと首掛けられたり、見てるだけだったのが窓の外まで足を出せるようになったり、みっつめは実行したところで怪我するだけで死ねないけど…

好きなことも出来なくて嫌なことにしか目がいかないのに惰性で生きてるなんて頭弱過ぎない

誰かがいいって言ってもわたしがよくない 

考えることが多すぎてそれが疲れる

疲れ死ぬ

ここ最近では多分一番いやな抑うつ

今回の抑うつは長い。

長くないけど、最近短かったせいで、長く感じる

生理の期間にかすってさえいないほど被らないのも久しぶり

だからながいのかもしれない

 

ほんとうに人の目がこわいから、誰も見てないのにばかみたいな言い訳するけど、これからいうこと全部自己満足です。いいたいからいう、かきたいからかく、

「かまってちゃん」って言葉が大嫌いです。人間いうなれば多かれ少なかれ全員構われたい気持ちがあるし、

たしかに明らかに自慢話を延々とするとか不幸話を楽しそうにするとかいらっとくることにはたまに出会うけど、そういうのも、「誰かと話したい」の純粋な気持ちも、「誰か助けてほしい」の切実な気持ちも、「誰かに好かれたい」「誰でもいいから会いたい」も全部全部ひっくるめて「かまってちゃん」っていうのが大嫌い

 

だからあえてしょうもない前置きです、かまってほしくて言ってるんじゃない、誰も見てなくても、誰かに言いたい

たしかに誰かに見つけてほしい、できることなら助けてほしい、でもそうじゃなくてもいいそうじゃなくても言いたい。

 

言い訳です、嫌われたくないから、言い訳です

 

 

 

しにたいのにしねないから、包丁で床をガリガリして、そしたらなんでこれを刺せないんだろうなんでこんなに死にたいのに行動に移せないんだろう、って情けなくてますます自分が嫌いで泣きました。

いままでで多分最高にリスカをしたくなったけど、明日も明後日も少しだけど友達に会う予定があるし、親の前ではしょっちゅう下着みたいに薄いワンピースばっかり着てたりするから、「リスカ 友達」次に「リスカ バレる」で検索をかけていろいろ読んで、少し衝動が落ち着いて、親指の爪でガリガリたくさん跡を引いて、それでなんとか一旦収まりました。

 

こうやって一人で暴走してる時もなぜか、目線ひとつにしても周りの目を考えちゃうの、おかしいよね、自分でもいみわかんない

「今はこの辺を見といて、顔はムスッとし過ぎてるのは違うな、もっとぼうっとしないと」って、誰のためなのかさっぱりわかんないけどいつも外側から監視してる誰かがいるの、嫌な人間に見えないように、私の辛さが1ミリでも伝わるような、嫌われないような格好、表情、行動、喋り方、言葉、全部その考えなしにはできなくなった

 

ばかだねいみわかんないよね

 

誰のために生きてるのかわからない

それが最近ずっと思ってること

本当に心の底からずっと思ってること

多分一番辛いこと

 

疲れたから急だけどやめます。

みんなだいすきだよ。わたしがつらいの、だれもたすけてくれなくてもだいすき

なんなの

もう15時

ツイッターをやめたい

言葉にしたって結局いみがないのに、それでも毎日のようにしてしまう不思議。

つらい時ほどむだに饒舌になって空回りして自分で自分を貶める不思議

まわりはそんなに見てないのにね

 

なにをするにも、自分がこうしたい、こう思うからこうするべき、ってそういうことじゃなくて、見えない誰かにどう思われるか、客観的に見て正解か不正解か、どのくらい誠意がつたわるか、その考えでしか行動できない。

好かれたいから。

はんぱな気持ちじゃなく、好きだよっていわれたい。がんばってるね、今日もえらいね、かわいいね、すてきだね。一緒に生きようね、死なないでねって言われたいの

書いてて涙が出ます。

 

こうやって書き連ねるだけならできるけど、自分で自分に言うのはできない

どうしても自分がきらいで世界一、いやだから、どうにも言えない

たまに味方してあげようとするけど、すぐ失敗する、味方すると直後に「こんなブスを甘やかすな」っていわれる。自分に。

 

昔、といっても数ヶ月前のことだけど、病気でもいいよって言ってくれてよりを戻した元彼に3日でうつ病を理由にふられて、辛かったし久しぶりに首を絞めたときがあった

普段はつらくても友達に連絡はしないけど、というかしたいのにできないけど、そのときばかりはきっかけになって、友達にズラっと長文でLINEをおくったら

あなたみたいに一生懸命毎日生きようとしてる人素敵だと思うよ

って言われて、嬉しかった。

そのずっと前、半年か一年くらい前にも、あなたはがんばってるよってその子が言ってくれて

こんなに嬉しいんだって感激した

 

でも、それは過去の話で、いまのわたしには言われてない

その言葉をかけてもらえたのは過去の自分で、たとえば19:32にLINEが届いたとして、返信をして話が一段落した23時頃には、もう向こうもそう思ってるか分からない

気が変わってるかも。

人の気持ちなんて毎分毎秒変わるわけで、昨日好きでいてくれた友達に今日は世界でいちばん嫌われてるかもしれない。

そして私はそれに気づいてないかもしれない。

 

だから、昔の言葉なんて、思い出でしかなくていまのわたしにはなんの効力もなくて、だから足りない。

わがままかな。ぜいたくかな。

毎日認めてほしい

そうじゃないと生きられない

 

病気が分かってすぐのころ顧問の先生が「生きたくないと思いながら生きてるんだから、そりゃ疲れるのは当たり前」って言ってくれたことがある、ほんとうにそうだよ先生、生きたくないのに生きるのって本当に疲れるの

生きた方がいいのはわかってるから、毎日がんばって生きてるの

しにたい、しね、って思いながら、しんじゃだめだよって自分で自分に言い聞かせて、言ってあげて、でもしにたいの繰り返しで、だけどちゃんと保ってるの

 

 

書いてて、しゃくりあげるくらいに泣けてきた

これがわたしのいちばん言いたいことだったんだなってわかった

毎日毎日あんなに文字にしてるのに、自分の言いたいことはぜんぜん言えてなかったんだなってわかった

 

カウンセリングでも言葉にするのが苦手で、今のこの気持ちを、少しでもちゃんと伝えられたことがない。

周りに伝えないから、周りも声をかけてくれなくて、また1人で鬱々とするはめになるのかな。

でも声をかけてもらうことを期待して言葉にするのは間違ってると思う。ついしてしまうけど。それが一番疲れる原因だと思う

 

まわりは実際私のことなんてどうでもよくて、それは酷いとかじゃなく当たり前のことで、だから永遠に救われない

 

わたしは友達が少ない。

それはたぶん主観を捨てて客観的に見ても、決して友達が作れないわけではなく、私の中の友達の基準が厳しすぎるせい

会いたいときに理由なく「会いたい」と言えて、いつ何時も「好き」って言いたくなるような人で(抑うつのせいでみんな大嫌いいなくなれって時は定期的にあるけどそれ以外のとき)、あの子になりたいって思えるところがひとつでもあって、もしこの先一生連絡がとれなくなっても忘れずにいたいと思うような相手で、自分の誕生日祝いは忘れられててもその子の誕生日はお祝いしたいと思えたり、

そんなひとしか私の人生には残したくないと思ってるし、実際そうしてる

 

いまでも会ってる友達しかSNSには残してないし、友達の名前を言ってって言われたら直ぐに全員つらつら言えるくらいの人数しかいない。

 

それはもちろんそうしたくてしたことだし、わたしにとってはそれが合ってると思ってるけど、でもそれは、それだけ味方が少ないってことなんじゃないかなとも最近思うようになった。

助けを求められる人がそれだけ少なくて、そのときに手を差し伸べてくれる人はさらに少なくて、最終的にすこしでも私が救われるようなひとはとんでもなく少なくなるんじゃないかってちょっと思う

 

ほんとうに大好きな友達しか残していないけど、向こうがそう思ってくれてるかはまた別の話で

 

わたしは、すきな子には惜しみなく愛をふりまきたいってずっとずっと思ってるから、伝わらなくてもできる限り好きだと思ったら好きって言うし、いいなと思ったらもちろん素直に褒めて、傷つけるようなことは言いたくないから大切に大切にしてるつもり。

抑うつのときはたまにひとりで暴れて、みんな嫌い!って言うからそれを真に受けてなければだけど、、たぶん受けてないと思う。話聞いてないと思うから。

 

でも、ともだちはわたしのことをどれくらいそう思ってくれてるかはわからない。

見返りを求めて愛をふりまいてるつもりはないからそれでいいんだけど、

でも事実としてわたしを愛してくれる人間はいないのかもしれない

というか、いないと思ってる。愛されてると思いたくても、実感できる出来事がひとつもない

 

そのぶん、ささいな言葉がうれしかったりするけど。あそぶ予定が合わなくて、泣いた顔の絵文字を送ってくれるだけでもめちゃくちゃうれしい。

でも、それってわたしが都合よく受け取ってるだけで、きっと大したことでもないし、いざと言うとき、わたしが辛そうにしてるときに手を差し伸べてくれるかは別

 

わたしがうまく言葉にできなくて、直接苦しさを訴えることができてないから悪いのかもしれない

でも、そうやって頼って、嫌われるんじゃないかって怖い

もしもうんとうんとたくさん好かれても、ほんの一瞬、本人も気づかないくらい一瞬でも「嫌だな」って思われる瞬間があったら全部そっちに傾く。

好かれたことなんて忘れちゃう

 

それくらい人に嫌われるのが怖い。一瞬でもヘイトを向けられることに耐えられない

 

だからこんなに人の目を気にして、毎日、誰のために生きてるんだかもわからなくて、でもこんなにがんばって生きてて、だけどもちろん誰も気づかないし声もかけてもらえなくて、それはぜんぶぜんぶ自業自得で、

逃げ場がないの

 

 

ぎりぎりのところで毎日立ってる。

疲れた。もう疲れたもうむりって、一年以上前からずっと言ってる。ずっと限界

口だけじゃないの、、ほんとなの。

誰か信じて

 

耐えられない

今日

調子のいいときと悪いときの波は確かにあるけど、いいときというのもたかが知れてるし

それ以上に、悪いときは永遠にこのままなんじゃないかと思っちゃう。

なんじゃないか、どころか、絶対そうだもうむりこんなつらいの生きていけないいやだたすけて、、ってなる

 

小説が読みたい。いまは読めないとき。

調子が良くなりたい。

わたしも幸せになりたい。あしたのバイトだるい、、とか言いたい。

みんなが羨ましい。みんなが憎たらしい。妬ましい。

でもみんなに頼らなきゃ生きていけない。

大好きなのに、こうなっちゃうの、殺したいなぁ

 

毎日毎日ただ時間が過ぎるのを待つだけで、今日も昨日も一昨日も、食べ物を食べて、あとは目を開けてるだけ、

ボヘミアンラプソディを観た。音がでかいし追い立てられてる気しかしなくて、鼓動がめちゃくちゃ早くなって、苦しくて、辛かった。わたしには楽しめなかった。悲しかった。

こんなに絶望ばっかりするなら、本当に喋りたくない、喋りたくない。言葉をなくしたい。

 

焦っちゃいけないとわかってるけど焦る、伝わってないけど。つらい。悲しい。

 

今日もおいしいものたべてね

ぶさいく

はたちになったので、わたしの死ぬ価値は消えました。

 

じゃあ死ななくていいじゃん、ということじゃなくて、うそつき。

生きてる人は、みんな死ぬ価値があるから生きてられるんだもん。

生きる価値がなくなって、死ぬ価値がなくなって、死ぬの、でもがんばってるでしょ。わたし生きてるじゃん、、つらいのに。

死んじゃだめだよ生きないとだめだよって言われると、わかったよって返しちゃうから、約束守ってるの

いみわかんない

わかんないならわかんなくていいよ、、しつこいなぁ

 

今日はいつもに増して支離滅裂だね。ごめんなさい。

生きてるだけで偉いとか、ほんとうのほんとうは、おもってません。

でも死なないためには言わなきゃいけないから言い聞かせてるよ。

 

生きてる自分も、死んでる自分も、結局はきらい

私を見失いたくない。

もう生きたくない。