氷にはちみつかけると美味しい©️

メンヘラのおままごと

もう15時

ツイッターをやめたい

言葉にしたって結局いみがないのに、それでも毎日のようにしてしまう不思議。

つらい時ほどむだに饒舌になって空回りして自分で自分を貶める不思議

まわりはそんなに見てないのにね

 

なにをするにも、自分がこうしたい、こう思うからこうするべき、ってそういうことじゃなくて、見えない誰かにどう思われるか、客観的に見て正解か不正解か、どのくらい誠意がつたわるか、その考えでしか行動できない。

好かれたいから。

はんぱな気持ちじゃなく、好きだよっていわれたい。がんばってるね、今日もえらいね、かわいいね、すてきだね。一緒に生きようね、死なないでねって言われたいの

書いてて涙が出ます。

 

こうやって書き連ねるだけならできるけど、自分で自分に言うのはできない

どうしても自分がきらいで世界一、いやだから、どうにも言えない

たまに味方してあげようとするけど、すぐ失敗する、味方すると直後に「こんなブスを甘やかすな」っていわれる。自分に。

 

昔、といっても数ヶ月前のことだけど、病気でもいいよって言ってくれてよりを戻した元彼に3日でうつ病を理由にふられて、辛かったし久しぶりに首を絞めたときがあった

普段はつらくても友達に連絡はしないけど、というかしたいのにできないけど、そのときばかりはきっかけになって、友達にズラっと長文でLINEをおくったら

あなたみたいに一生懸命毎日生きようとしてる人素敵だと思うよ

って言われて、嬉しかった。

そのずっと前、半年か一年くらい前にも、あなたはがんばってるよってその子が言ってくれて

こんなに嬉しいんだって感激した

 

でも、それは過去の話で、いまのわたしには言われてない

その言葉をかけてもらえたのは過去の自分で、たとえば19:32にLINEが届いたとして、返信をして話が一段落した23時頃には、もう向こうもそう思ってるか分からない

気が変わってるかも。

人の気持ちなんて毎分毎秒変わるわけで、昨日好きでいてくれた友達に今日は世界でいちばん嫌われてるかもしれない。

そして私はそれに気づいてないかもしれない。

 

だから、昔の言葉なんて、思い出でしかなくていまのわたしにはなんの効力もなくて、だから足りない。

わがままかな。ぜいたくかな。

毎日認めてほしい

そうじゃないと生きられない

 

病気が分かってすぐのころ顧問の先生が「生きたくないと思いながら生きてるんだから、そりゃ疲れるのは当たり前」って言ってくれたことがある、ほんとうにそうだよ先生、生きたくないのに生きるのって本当に疲れるの

生きた方がいいのはわかってるから、毎日がんばって生きてるの

しにたい、しね、って思いながら、しんじゃだめだよって自分で自分に言い聞かせて、言ってあげて、でもしにたいの繰り返しで、だけどちゃんと保ってるの

 

 

書いてて、しゃくりあげるくらいに泣けてきた

これがわたしのいちばん言いたいことだったんだなってわかった

毎日毎日あんなに文字にしてるのに、自分の言いたいことはぜんぜん言えてなかったんだなってわかった

 

カウンセリングでも言葉にするのが苦手で、今のこの気持ちを、少しでもちゃんと伝えられたことがない。

周りに伝えないから、周りも声をかけてくれなくて、また1人で鬱々とするはめになるのかな。

でも声をかけてもらうことを期待して言葉にするのは間違ってると思う。ついしてしまうけど。それが一番疲れる原因だと思う

 

まわりは実際私のことなんてどうでもよくて、それは酷いとかじゃなく当たり前のことで、だから永遠に救われない

 

わたしは友達が少ない。

それはたぶん主観を捨てて客観的に見ても、決して友達が作れないわけではなく、私の中の友達の基準が厳しすぎるせい

会いたいときに理由なく「会いたい」と言えて、いつ何時も「好き」って言いたくなるような人で(抑うつのせいでみんな大嫌いいなくなれって時は定期的にあるけどそれ以外のとき)、あの子になりたいって思えるところがひとつでもあって、もしこの先一生連絡がとれなくなっても忘れずにいたいと思うような相手で、自分の誕生日祝いは忘れられててもその子の誕生日はお祝いしたいと思えたり、

そんなひとしか私の人生には残したくないと思ってるし、実際そうしてる

 

いまでも会ってる友達しかSNSには残してないし、友達の名前を言ってって言われたら直ぐに全員つらつら言えるくらいの人数しかいない。

 

それはもちろんそうしたくてしたことだし、わたしにとってはそれが合ってると思ってるけど、でもそれは、それだけ味方が少ないってことなんじゃないかなとも最近思うようになった。

助けを求められる人がそれだけ少なくて、そのときに手を差し伸べてくれる人はさらに少なくて、最終的にすこしでも私が救われるようなひとはとんでもなく少なくなるんじゃないかってちょっと思う

 

ほんとうに大好きな友達しか残していないけど、向こうがそう思ってくれてるかはまた別の話で

 

わたしは、すきな子には惜しみなく愛をふりまきたいってずっとずっと思ってるから、伝わらなくてもできる限り好きだと思ったら好きって言うし、いいなと思ったらもちろん素直に褒めて、傷つけるようなことは言いたくないから大切に大切にしてるつもり。

抑うつのときはたまにひとりで暴れて、みんな嫌い!って言うからそれを真に受けてなければだけど、、たぶん受けてないと思う。話聞いてないと思うから。

 

でも、ともだちはわたしのことをどれくらいそう思ってくれてるかはわからない。

見返りを求めて愛をふりまいてるつもりはないからそれでいいんだけど、

でも事実としてわたしを愛してくれる人間はいないのかもしれない

というか、いないと思ってる。愛されてると思いたくても、実感できる出来事がひとつもない

 

そのぶん、ささいな言葉がうれしかったりするけど。あそぶ予定が合わなくて、泣いた顔の絵文字を送ってくれるだけでもめちゃくちゃうれしい。

でも、それってわたしが都合よく受け取ってるだけで、きっと大したことでもないし、いざと言うとき、わたしが辛そうにしてるときに手を差し伸べてくれるかは別

 

わたしがうまく言葉にできなくて、直接苦しさを訴えることができてないから悪いのかもしれない

でも、そうやって頼って、嫌われるんじゃないかって怖い

もしもうんとうんとたくさん好かれても、ほんの一瞬、本人も気づかないくらい一瞬でも「嫌だな」って思われる瞬間があったら全部そっちに傾く。

好かれたことなんて忘れちゃう

 

それくらい人に嫌われるのが怖い。一瞬でもヘイトを向けられることに耐えられない

 

だからこんなに人の目を気にして、毎日、誰のために生きてるんだかもわからなくて、でもこんなにがんばって生きてて、だけどもちろん誰も気づかないし声もかけてもらえなくて、それはぜんぶぜんぶ自業自得で、

逃げ場がないの

 

 

ぎりぎりのところで毎日立ってる。

疲れた。もう疲れたもうむりって、一年以上前からずっと言ってる。ずっと限界

口だけじゃないの、、ほんとなの。

誰か信じて

 

耐えられない