一人
昔の記事を読んでみた。
誰にも頼らず、ひとりで耐えて生きていた時のことを思い出したから
読んでみたら、いまの感情とたいして変わらなくて、なんだ一緒のままかと思った
当たり前すぎて笑いすら出ないこと言うけど、うつ病の感覚って、本当に理解されないよね。
太陽って東から昇るよね。くらい当たり前すぎて書く意味もないほどだな
毎日訴えて、一緒に生きて、一緒に悩んで、それでもやっぱりほんの0.1ミリ伝わっているかどうか
もう、それが辛いから、理解されていないせいで大切な人に傷つけられるのが辛すぎるから、「ひとりで頑張る」という昔の生き方を思い出してみようかと思って、冒頭の一文です。
元はと言えば、ひとりで耐えて頑張って生きてたら周りが勝手に「もっと頼って」「ひとりで抱えるな」「つらいことは言ってくれないとわからない」とか言うからなるべく頼るようにしてきたのに、今度はしばらくしたら「人に期待ばかりするな」「自分の意思を持て」「周りにしてほしいことばかり言うな」って。え、じゃあどっちなの。
頼ることが結果的に回り回って迷惑をかけないことになるんだと思って、この数年かけてそちらに寄せて寄せて直してきたのに。結局間違ってたのか。それともいつものごとくわたしがちゃんと悪くて、直し方が違ったのか。
幸せが遠い。
病院の先生曰く、結局自分が行動しないと治らないらしい。
いや、それはそうだろうけど、その行動の手助けのためになにか治療があるかな〜と思っていたらそれがないらしい。薬ももうこれ以上は変えてもあんまり意味ないらしい。
わたし、行動できないから困ってるのに。
ひとりでコンビニに行くことすら怖いから、せめてそれくらいでもできるようになるまで、薬に頼って耐えて過ごして待とうと思ってたのに。
だめなんだ。
もういろんなことがいやだ。
とくに止めないならわたしはしばらく自分ひとりで頑張るようにする、と言ったら止められなかった。わからない、、と言われて、その上眠いから寝ると言われた。
こちらはさっき首を吊って未遂したばかりなんだけど、いいな、眠れて、心配じゃないのかな、とかこんなふうに考えるところがもう嫌気さすんだろうな。でもこんなふうに考えてしまうことも、仕方ないんじゃないかって、自分で頑張るのであればわたしは味方するよ。
明日からの生き方が、なんか見失ってしまった。
生き方って急に変えるものじゃなくて、徐々に変わっていくものだから、明日のわたしはどうなればいいんだろう
もうほんとうに、死にたいな
明日を生きたくないな。
いますぐクリスマスにならないかな。
凍え死にたいな